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心のおそうじ-倍返しは割りに合いますか? [心のお掃除]

ダム湖に行きました。
秋の日差しの中、穏やかに水をたたえ広々としています。
下の写真は放流側で、かなり落差があります。

朝霧湖.jpg

朝霧湖のダムの下.jpg

ダム湖は、ダムによって河川がせき止められできる人造湖です。
堅固に見えるダムも、老朽化が進むと大きな地震で亀裂が生じることがあります。
そして、その小さなヒビが徐々に大きくなり、やがて決壊して大惨事につながることもあります。


怒りの気持ちに対処する

最近、「キレル」という言葉を耳にします。
小さな亀裂からダムが決壊するように、ささいな理由で怒りを爆発させます。
若者も年配の人も「キレ」やすいことに変わりません。

家庭や職場、お店の中、運転中の車や通りすがりの路上でも起きます。
ちょっとしたことを侮辱と感じ人の間違いに憤然とします。
感情をぶちまけることは当然の権利で、強さの現われと感じます。

「倍返し」をすれば、気分がスカッとしますか?
どう思われますか?
人ごとだと冷静ですが、自分のこととなると難しい...。

どうすれば、怒りの気持ちに対処できますか?
昔の書物はこう教えます。


『だれに対しても、悪に悪を返してはなりません。 すべての人の前に良いものを備えなさい。 できるなら、あなた方に関するかぎり、すべての人に対して平和を求めなさい。 わたしの愛するもの者たち、自分で復讐してはなりません。 むしろ神の憤りに道を譲りなさい。』


本当に実際的でしょうか?
ヤラレたらヤリ返すべきですか?
倍返しで間違いを認めさせますか?

これが書かれたのは2000年ほど前です。
今と違い、治安も悪く剣を帯びた人もいました。
復讐も認められた時代です。

そのような中で、この対処法が役立ちました。
ですから、これは最善の方法です。
ヤラレたらヤリ返す無差別テロとは大きな違いです。


怒りに任せ復讐すべきでないのは何故でしょう?
理由を3つ挙げましょう。


① わたしたちの公正の感覚は完全ではない。

自分の怒りは公正で正当だと思うかもしれません。
しかし、感情に曇らされ間違った判断や結論を下すことがあります。


② すべてを知っているわけではない。

言動の理由すべてを知りません。
体調が悪いとき、ぶっきらぼうで横柄な言い方をするものです。
挨拶をしなかったのは急ぐべき事情があったからでしょう。
育った国や環境によって反応は異なります。


③ 怒り立ったまま行動すると間違った結果になる。

カッとなって言い過ぎて「ごめんなさい!」と、謝るはめになるかもしれません。
知性でなく感情が支配すると、冷静な判断ができず結果が最初より悪くなります。


大きなダムも小さな亀裂から決壊します。
ささいなことでカッとなり行動すると、自分や他の人を傷つけるでしょう。
倍返しは割りに合わず悲惨な結果をもたらします。

怒りを制御し少しずつ放流するなら、ダム湖のように穏やかで広々とした日々を過ごせるでしょう。
完全な公正をもたらす方に、憤りの気持ちを委ねるのは知恵の道です。

今日はここまでにします。

(記事の転載、厳禁)






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心のおそうじ-希望を捨てない [心のお掃除]

今日は、久しぶりの雨が降りました。
みなさんのところはいかがでしたか?

道端の電柱の下に花が咲いていました。
秋も寒くなり始めたころなのにとても立派な花です。
道路の脇から出たにもかかわらず、凛としていて清楚な感じがします。

雑草が出ているのは目にしますが、きちんとした花が咲くのは珍しいですね。
種がどこかから飛んできて芽を出したのでしょうか?
厳しい環境に負けず、がんばって花を咲かせました!

電柱の花2.jpg


実際にあった話をしましょう。

たくさんの資産を持っている一人の男性がいました。
この人には愛する妻がいて、10人の息子と娘に恵まれました。
篤信の人でとても寛大で親切な人でした。

しかし、ある日すべての資産が強盗に盗まれてしまいます。
それだけではありません。
10人の子どもたち全員が災害に遭い亡くなるのです。
さらに男性はひどい病気にかかり苦しみます。

では、最愛の妻はどうしたでしょう?
夫にこう言います。
「神をのろって死になさい!」

なんとひどい言葉でしょう!
あなただったらどうしますか?
絶望して死ぬことも考えるかもしれませんね。

この男性も一時はそうしたいと思いました。
でも、最後まで希望を捨てませんでした。
電柱の下の花のように自分の分を尽くしたのです。

その結果どうなりましたか?

妻の心は再びこの男性に戻り、たくさんの子どもを得ることができたのです。
それだけではありません。
財産が倍になるよう回復して以前にも増して豊かになりました。

教訓が得られますか?
どんなにつらい状況、試練だとしても、「希望を捨てない」ことです。
そして、自分の分を尽くすようにしましょう。

英語のことわざに、こんなものがあります。

「すべての雲には銀の裏地がある。」

地上からは暗い雲が空一面を覆っているように見えても、雲の上は太陽を浴びて銀色に光り輝いているという意味です。
どんなに悪く思えるときも必ず希望があるのです。

昔の書物もこう述べています。

『求めつづけなさい。そうすれば与えられます。 探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。 たたきつづけなさい。そうすれば開かれます。』

そうです。
希望を捨てないでください!

今日はここまでです。
(記事の転載、厳禁)











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心のおそうじ-愛の保証 [心のお掃除]

今日は海の近くの仕事でした。
ドライブがてら海岸沿いを走ったときに撮った一枚です。
とてもよい天気で、さざ波に日の光がきらきらと反射します。

太陽に光る長浜の海.jpg

11月に入ると、日中は暑いくらいですが朝夕はとても冷え込みます。
みなさんのところはいかがですか?

ホットコーヒーの一杯がおいしくなりましたね。(もちろん、ブラックですが…。)
ついこの前まではアイスコーヒーだったのに、火が恋しくなりました。

ある家の大きなバケツの中に子亀が一匹いました。
水を入れた中に大きな石が置いてあり、その上でチョコンと日光浴をしています。
この小さな命も太陽の恵みを満喫しています。

生命は太陽に依存しています。
地球が太陽に近すぎると水が蒸発し、遠過ぎるとすべて凍ってしまうそうです。
日光浴をするときは、そのことを思い起こしてみてください。

太陽は1億5千万キロメートルのかなたにあり、中心温度は1500万℃ぐらいだそうです。
その中心から虫ピンの頭ぐらいの小片を持ってきて、家の近所に置いたと想像してみてください。
おそらく140キロメートル四方は危険で立ち入り禁止になるでしょう。

太陽と地球はちょうどよい距離にあって優しく命を育んでいます。
ところが、ほとんどの人はこの太陽を当たり前のものと思っています。

凍えそうなとても寒い日、外を歩いていて身体が冷え切ったとしましょう。
ガタガタと震え、寒さのために手足の感覚もなくなってきます。
そんなとき、だれかが声をかけ焚き火にあたるよう誘ってくれたとしたら、とてもありがたいと思うのではありませんか?

ポツンと、冷たく静かな宇宙に浮かぶ孤独な地球…。
それに対する太陽の備えも、これに似ています。
太陽の光は地球の生命に不可欠であるだけでなく、クリーンで効率よく気持ちのよいものです。

そこに文字通り「暖かい」ものを感じます。
地上のすべての命に行き渡る暖かいもの…、それは「愛」です。
あなたにも、それが届いていますか?


愛の保証

「全体的にはそうかもしれないが、個人としてはどうだろう?」
「自分は価値がなく愛される資格がない…。」
そんなふうに考えたことがありますか?

悪いところや出来てない事ではなく、良い点を探し評価してくれたら嬉しいですね。
失敗しても進んで許し助けようと支えてくれるなら…。
こんな言葉が昔の書物にあります。

『たとえあなた方の罪が緋のようであっても、それはまさに雪のように白くされ、 たとえ紅の布のように赤くても、まさに羊毛のようになる。』

薄い色の洋服に染みがつくと完全に消えないことが多いものです。
緋は明るい赤ですが洗濯しても落ちませんし、紅は染色された濃い赤です。
それでも、心から改めるなら進んで許され純白のようにされるのです。

人は優しく愛されることを望みます。
母親が子どもに抱くような愛情を持って「暖かく」愛されることを…。
あなたも、そのように愛される人の一人です。

(記事の転載、厳禁)




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心のおそうじ-忠節な愛 [心のお掃除]

「名前が何だと言うの?バラの花を別の名前で呼んでも甘い香りは消えはしない」。
これは、「ロミオとジュリエット」のせりふのひとつです。

夕方のニュースで、秋バラが花をつけたので多数の観光客が訪れていると紹介されていました。
100種以上ある野生のバラの幾つかが交配され,現在の何千種ものバラが生み出されたそうです。

黄色いバラ-1.jpg

写真は秋バラではなく、以前に5月ごろ撮影したものです。
秋バラは、春より香りが強く小さい花を咲かせるそうです。
よく手入れをしてやれば、ふさわしい季節に忠実に花を咲かせ、甘い香りで楽しませてくれます。

ところで、「忠節」と「忠実」には違いがあります。
広辞苑によると「忠実」とは、「まごころを尽くしてよくつとめること。実際の通りに正確に行うこと。」とあります。
一方「忠節」は、「忠義を尽くすこと。君につくす節義。」と述べています。

もう少し簡単に言えば、人は単なる義務感から「忠実」な場合があります。
それに対し、「忠節」は愛に根ざしていると言えます。
季節になるとバラは忠実に花を咲かせますが、忠節であるとは言えないのです。


忠節を見分け、受ける

こんな忠節な愛に接することができたらよいと思いませんか?
でも、このような愛はあまり見られなくなりました。
もちろん、間違った忠節を目にすることは多くあります。

たとえば、大きな会社や公務員などの組織が不正を行なうことがあります。
そこで働いている人は、一般市民が被害を受けると分かっているのに秘密にして協力することがあります。
ドイツのVWディーゼル排ガスの不正ソフトなどもその一例かもしれません。

しかし、これは間違った忠節です。
なぜなら、それは本当の「愛」に基づいたものではないからです。
会社に対する愛は抱いていても、一般の人々に対する愛に欠けています。

また、今では不忠節があたりまえのこととみなされます。
たとえば、多くのカップルが結婚式で互いへの永遠の愛を誓ったにもかかわらず、すぐに離婚しています。
さまざまな理由があるでしょうが、配偶者に対する「忠節」よりも自分の欲望を満たす「浮気」が一般的になっているようです。

間違った忠節や不忠節は、どんな結果をもたらしますか?
多くの社会的被害や不信、環境破壊をもたらしています。
家庭の崩壊や自尊心の欠如、そして幼い子どもたちの心に癒しえない傷を与えます。

ですから、まず忠節を見分けなければなりません。
生涯に忠節な友を見出せたらすばらしいですね。
また、互いに忠節をつくす配偶者はかけがえのない存在ですね。


「それはいいことだけど、自分にそんな人はいないよ。」と思われるでしょうか?
でも、どうぞがっかりしないでくださいね。
あなたも忠節な愛を受けられるのです。

『たとえ深い陰の谷を歩もうとも、わたしは何も悪いものを恐れません。 あなたがわたしと共にいてくださるからです。 あなたのむち棒と杖は、わたしを慰めてくれるものなのです。』
昔の書物はこう約束しています。

良い羊飼いは、羊のことを深く気遣います。
羊がケガをして傷ついていれば優しく世話します。
外敵から守り草の多い牧場や水場へと導いていきます。

安心して下さい。
あなたにも、忠節な愛を示して下さる方がいるのです。

今日は、ここまでにしたいと思います。

(記事の転載、厳禁)






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心のおそうじ-自殺について その4 [心のお掃除]

『ああ、あなたがわたしのおきてに実際に注意を払いさえすれば! そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになるであろうに』

滑床-1.jpg

吉田の海-1.jpg


これは、昔の書物に記されている言葉です。
川はおだやかにとうとうと流れ、海の波は途切れることなく浜辺に打ち寄せます。
そのような安らぎ…、そしていつも正しい道を歩めたらいいですね。

心のおそうじ-自ら命を絶つことについて その4


命の流れ

大きいのも小さいのもいて、

踏みしめているスニーカーの下、遠い空や水の中にもそれはいて、

ただ、「生きる」という方向に向かう。

しかも、ひとつひとつが光り輝きながら…。


命は無目的であったり無意味なものではないでしょう。
すべての命は、「生きる!」という方向に向かって大河のように流れます。
動物たちは本能という流れに身をまかせます。
そして、自然と調和しバランスを保ちます。

人はどうでしょう?
自我を持ち、「考える」ことができます。
動物も判断能力を持っていますが、人間の脳は異なっています。
特別に前頭葉が発達しています。

ライオンは、お腹がいっぱいになれば獲物を襲いません。
人間はたくさん持っていても、「もっと!、もっと!」と欲しがり、「どうすれば儲かるだろうか?」と思案します。

なぜですか?
「考える」からです。
考えるゆえに、自ら命を絶ちます。
そして、貪欲さと利己心がいつも頭をもたげ雑草のように生えてきます。
それを刈り取ろうとしても自力では克服できません。

では、「考える」ことをやめ動物のように本能に拠るべきですか?
前頭葉を切り取るべきですか?

それはできません。
人はやはり「人」だからです。

「考える」をプラスにすることはできないでしょうか?
「考える」を命の流れに調和させることができますか?
どう思いますか?

動物になく人だけが持つもの...。
本能ではなく思考が生み出すもの...。
そして、唯一、利己的な心を制御できるもの...。

もしかすると、それは宗教、また信仰かもしれません。


次回は、「プロのおそうじマニュアル」に戻る予定です。
(記事の転載、厳禁)
















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心のおそうじ-自殺について その3 [心のお掃除]

♪名も知らぬ~、遠き島より、流れよ~る、やしの実一つ~♪

目をとじて小声で口ずさむと、はるか遠くイメージがうかぶ歌の一つです。

ワシントン椰子のある風景-1.jpg

日本でも街角に植えられ、異国情緒をかき立てます。
ヤシの木にはいろいろな種類があります。また、昔から人に美しさを連想させます。
2500年ほども前の書物にこんな歌があります。

「あなたのこの背丈は、やしの木に、あなたの乳房はなつめやしの房に似ている。」 わたしは言った、 『わたしは、やしの木に上って、そのなつめやしの果梗(かこう)を取ろう』と。 そして、どうか、あなたの乳房がぶどうの房のようであって欲しい。あなたの鼻の香りがりんごのようであれ」

背が高く堂々としたヤシの木は,幹がまっすぐ伸び,葉が羽を広げた飾りのように優雅です。
この歌は、愛する女性の背丈をやしの木に,乳房をその房に例えています。


心のおそうじ-自ら命を絶つことについて その3


命は贈り物

ある子どもが、大人にこう尋ねます。

「本当に人生に意味がないなら、どうして生きるの?」

「う~ん、そうだね。まぁ、生きたいから生きる…って、そんな感じかな…。」

「ふ~ん、そう…?」

自ら命を絶つという選択の自由があるのに、なぜ「死ぬ」方を選ばないのでしょうか?
頭では分かっていてもいざ死ぬとなると、「生きていたい」という思いがフツフツと湧いてきます。それが正直な気持ちです。

裏庭で拾った黒い石のことを思い出してください。
家族も近所の偉い人もその価値を認めません。置いてても意味がないから、みんな捨てるようにと勧めます。
迷いますが捨てたくありません。
それで、ふとその石をきれいにしてみようと思います。
ゴシゴシと磨いてゆくと裏側にかすれた小さな文字で、「父より」という言葉が浮かんできます。

電話で母に尋ねてみると、どうやら何年も前に死んだ父の物だと分かります。自分が誕生した時、父が嬉しくて我が子の顔を刻んだものなのです。石を手にすると温かい気持ちになるのはそのせいかもしれません。
捨てなくて良かったと思います。

「生きていたい」という気持ちはそれに似ています。
進化の「理屈」ではなく身体そのものに目を向けると、「死ぬ」のではなく「生きよう」としているのが分かります。
リストカットしても、その人の身体は傷口を塞ぎ血を止めようと全力を尽くします。
命は意味のないものではなく「生きる」という方向性があります。

動物は、精いっぱい生きています。
考える力のある人間だけが命を「捨てて」よいでしょうか?
黒い石は父親からの贈り物でした。
貴重で不思議な「命」も贈り主がいるかもしれませんね。

(記事の転載、厳禁。)








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心のおそうじ-自殺について その2 [心のお掃除]

雲ひとつない快晴の中、漁師網にかかったというマンボウが、道の駅の丸い水槽で泳いでいます。
なんだかカワイソウと思いつつ、スマホのシャッターを切ります。

そんな気持ちを見透かすように、水中からジッとこちらを見ています。
そんな一枚…。

こちらを見ているマンボウ-1.jpg

三瓶の港-1.jpg

マンボウは、1トンにも成長するそうです。このように大きくなる魚には、そのからだをおそうじする小さなおそうじ屋さん、清掃魚がいるそうです。
からだが大きいので、寄生虫がついたり傷ついて悪くなったお肉を、きれいにしてもらう必要があります。おそうじ専門魚は、くちばしのような口とピンセットのような歯で、きれいにしてくれるとのことです。
気持ちいいでしょうね!

このような助け合いは、偶然に生まれたのでしょうか?
今から3500年前の書は尋ねます。

『地に関心を示してみよ。そうすれば、それはあなたを教え諭すだろう。海の魚もあなたに告げ知らせるだろう』

身近なところをよく観察すると、思いがけずいろんな発見があるのかも...?


心のおそうじ-自ら命を絶つことについて その2


「命は、生きようとしている」

『我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか』
ーポール・ゴーギャン(画家)

自然を取り上げたTV番組を見ていると、よくこんな説明がされます。
「宇宙はたまたま生まれました。
物は何かのはずみに小さな生きものになり、やがて魚やとかげに変わり、空飛ぶ鳥、動物、類人猿が生まれたのです...。それが、人の祖先...になりました。」
アメリカの何々教授という科学者が、迫力あるCGを使って分かりやすく自信たっぷりに話します。
「フーン、そうか! 天下の公共放送だし...、こんな偉い人が言うんだから間違いない!」と心の中で思います。

? ...ちょっと待てよ...?
それが事実なら、人は生きる意味がないのでは...? 偶然に生まれたなら、出会いがしらの事故のようなもの、意味がなくなってしまうし...。
それじゃ、「現れては消えていく泡のような存在」じゃないか。
「人が生きようが死のうが、長い時間の中の一コマ。そこに意味を求めても空しいだけ...。」

少し話を変えましょう。

家の裏庭で、10cmぐらいの黒い石のような物を拾ったとしましょう。
それを拾って見ると、妙に手になじみ、何か人のようにも見えてきます。また、少し温かい気持ちさえしてきて、
「ひょっとすると、これは価値がある物かもしれないぞ...。」
それで、家の玄関の一番目立つ場所に置くことにします。
ところが、どうでしょう。来る人、来る人、みんな良く言いません。
「なぜ、こんなゴミを置いているの?」と、聞く人さえいます。
近所でとても尊敬されている人たちさえ、口々に悪く言います。
家族はというと...、
「パパ、邪魔だから、早く捨ててよ!」

人間の成り立ちも、まるでこの裏庭で拾った黒い石の塊のよう...。
みんな口をそろえて言います。

「意味はない!」

どうしますか...?
捨てるべきか、捨てざるべきか...? 思案のしどころです。

今日はここまでです。次回をお楽しみに!
お疲れ様でした♪
(記事の転載、厳禁。)

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心のおそうじ-自殺について その1 [心のお掃除]

十月半ばを過ぎて、北海道や東日本では、すでに紅葉となり、雪が降ったところもあります。西日本では、少し木々が色づき始めたというところでしょうか。皆さんのところは、いかがですか?
以前に、十月の終わりから十一月にかけて、ニューヨーク州に行ったことがあります。その時、アメリカは日本と違い、紅葉も派手だなと感じました。どちらかといえば、日本の紅葉はおしとやかというか、風情があるかもしれません。それで、ニューヨークの紅葉を少しアップします。

ニューヨーク紅葉1-1.jpg

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マンハッタンのリス-1.jpg

ところで、地球に季節があることはすばらしいことですが、その原因はなにか知っておられますか?そうです。地球が太陽に対して、地軸が23.4度傾いているおかげで、季節のサイクルが生まれ、気温が穏やかになり、変化に富む気候帯が作り出されているそうです。ほんとうに、絶妙のバランスですね。
昔の書物には、こうありました。

『あなたはそのすべてを知恵をもって造られました。地はあなたの産物で満ちています』

「プロのおそうじマニュアル」の続きは、今後に掲載していく予定です。今回は、心のおそうじについて書いてみます。


心のおそうじ-自ら命を絶つことについて


選択の自由

考えて見ますと、わたしたちは生きるか死ぬかを自分で選ぶことができます。でも、愛する家族や親、また子どもたちがいると、自ら命を絶って悲しませたいとは思わないでしょう。また、友の支えや職場の人々の信頼があれば、決して死にたいとは思いません。
しかし、わたしたちは誰でも、悲しみがとても深いとき、苦しくつらいとき、また痛みにどうしても耐えられないときなどには、「死んでしまいたい・・・。」と、考えてしまうことがあります。そして、その思いがとても強くなり限界を超えたとき、人は自ら命を絶つのでしょうか?

この点で、動物や他の生き物はどうでしょうか? もちろん、わたしたちは動物にはなれないので、その気持ちを完全に理解することはできません。しかし、外から観察する限りでは、動物たちはいつも必死に生きようとしているように感じます。 毎朝、わが家にやってくる小鳥は、ほとんどの時間を餌を摂るため過ごしているようです。よくは分かりませんが、それが本能というものでしょうか? 人間のようには深く考えず、その日、その日を必死に生きているように見えます。

しかし、人間は他の動物と違っています。何か問題が生じると、深く考え、悩み、そして最悪の場合、自ら命を絶ってしまうことがあります。そういう意味においては、人には、「選択の自由」がある、と言えるかもしれません。

ただ、その「死にたい!」と、いう選択をするとき、わたしたちの体の全体がそうするのでしょうか? おそらく、そのような選択や決意は、頭の中の「脳」という器官の、しかもごく一部分が判断してそうするのかもしれませんね。それも、どうやら脳は、何かの電気反応や化学反応によって、「考える」という作業をしているようです・・・(?) いずれにしても、わたしたちが「死にたい!」と、思ったその瞬間も、心臓や肺は、酸素を補給し二酸化炭素を運び出しています。そして、そう考えている「脳」の一部分や全体に、絶え間なく生きるための血液を送り出しているわけです。小さな細胞レベルで考えると、いつも、わたしたちの考えとは関係なく細胞たちは生きようと働き続けています。

人間とは、何でしょう? 不思議ですね。

今日は、ここまでにしたいと思います。
(記事の転載、厳禁。)








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