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心のおそうじ-自殺について その2 [心のお掃除]

雲ひとつない快晴の中、漁師網にかかったというマンボウが、道の駅の丸い水槽で泳いでいます。
なんだかカワイソウと思いつつ、スマホのシャッターを切ります。

そんな気持ちを見透かすように、水中からジッとこちらを見ています。
そんな一枚…。

こちらを見ているマンボウ-1.jpg

三瓶の港-1.jpg

マンボウは、1トンにも成長するそうです。このように大きくなる魚には、そのからだをおそうじする小さなおそうじ屋さん、清掃魚がいるそうです。
からだが大きいので、寄生虫がついたり傷ついて悪くなったお肉を、きれいにしてもらう必要があります。おそうじ専門魚は、くちばしのような口とピンセットのような歯で、きれいにしてくれるとのことです。
気持ちいいでしょうね!

このような助け合いは、偶然に生まれたのでしょうか?
今から3500年前の書は尋ねます。

『地に関心を示してみよ。そうすれば、それはあなたを教え諭すだろう。海の魚もあなたに告げ知らせるだろう』

身近なところをよく観察すると、思いがけずいろんな発見があるのかも...?


心のおそうじ-自ら命を絶つことについて その2


「命は、生きようとしている」

『我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか』
ーポール・ゴーギャン(画家)

自然を取り上げたTV番組を見ていると、よくこんな説明がされます。
「宇宙はたまたま生まれました。
物は何かのはずみに小さな生きものになり、やがて魚やとかげに変わり、空飛ぶ鳥、動物、類人猿が生まれたのです...。それが、人の祖先...になりました。」
アメリカの何々教授という科学者が、迫力あるCGを使って分かりやすく自信たっぷりに話します。
「フーン、そうか! 天下の公共放送だし...、こんな偉い人が言うんだから間違いない!」と心の中で思います。

? ...ちょっと待てよ...?
それが事実なら、人は生きる意味がないのでは...? 偶然に生まれたなら、出会いがしらの事故のようなもの、意味がなくなってしまうし...。
それじゃ、「現れては消えていく泡のような存在」じゃないか。
「人が生きようが死のうが、長い時間の中の一コマ。そこに意味を求めても空しいだけ...。」

少し話を変えましょう。

家の裏庭で、10cmぐらいの黒い石のような物を拾ったとしましょう。
それを拾って見ると、妙に手になじみ、何か人のようにも見えてきます。また、少し温かい気持ちさえしてきて、
「ひょっとすると、これは価値がある物かもしれないぞ...。」
それで、家の玄関の一番目立つ場所に置くことにします。
ところが、どうでしょう。来る人、来る人、みんな良く言いません。
「なぜ、こんなゴミを置いているの?」と、聞く人さえいます。
近所でとても尊敬されている人たちさえ、口々に悪く言います。
家族はというと...、
「パパ、邪魔だから、早く捨ててよ!」

人間の成り立ちも、まるでこの裏庭で拾った黒い石の塊のよう...。
みんな口をそろえて言います。

「意味はない!」

どうしますか...?
捨てるべきか、捨てざるべきか...? 思案のしどころです。

今日はここまでです。次回をお楽しみに!
お疲れ様でした♪
(記事の転載、厳禁。)

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